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2000年(平成12年)  3月  

須磨南道場が開設される。筆頭指導員に日置亮介(現分支部長)が任命される。

2000年(平成12年)  6月  

第17回ウェイト制大会軽量級にて田ヶ原正文が優勝を成し遂げる。軽重量級では住谷統が2位を勝ち取る。中量級では金森俊宏(明石道場所属)が 長身から繰り出す前蹴り、膝蹴りそして強力な下突きを駆使し4位に入り初入賞を果たす。

2001年(平成13年)  1月  

所属道場が40箇所を超える。この10年間では特に大阪南支部での新規道場開設が目覚しく、同支部での常設道場に京橋、天王寺、松原などが加わる。 またこの年の元旦、東京本部内弟子出身である山野博久(現・分支部長)が帰郷していた淡路島の洲本市に道場を設立する。更に2年後、2003年6月には三原道場を開設し淡路での極真がより一層活発化する。

2001年(平成13年)  4月

第18回ウェイト制大会軽量級にて安田幸治が復活し3位入賞を飾る。準決勝、対八木沼史郎戦の鬼気迫るファイトは現在でも語り草となっている。更に軽重量級では中川正士が上段膝蹴りを駆使し準優勝のビッグタイトルを奪う。

2001年(平成13年)  5月   松岡朋彦(分支部長)を筆頭指導員として東灘道場が新規設立される。
2001年(平成13年)  6月

第2回世界ウェイト制大会が開催される。田ヶ原正文、安田幸治が日本選手団に選抜され出場。田ヶ原正文が見事優勝を飾り、中村道場より初の世界チャンピオンが誕生する。同時に第8回世界大会への切符を手にする。36歳での偉業達成は後世まで語り継がれるであろう。

2001年(平成13年) 12月

中村師範、ロシア支部の要請によりモスクワで開催された支部合宿に参加。1週間に渡って行われたセミナーの指導を行う。

2002年(平成14年)  4月

宝塚道場が分支部道場となり黒山吉隆が分支部長に任命される。また2005年2月には伊丹道場が分支部道場となり同分支部長が管轄することとなる。

2002年(平成14年)  6月

第19回ウェイト制大会にて軽量級に松岡朋彦が3位に入りブレイク。中量級にて金森俊宏3位入賞。また軽重量級では中川正士、住谷統がそれぞれ2位、3位を奪う。

2002年(平成14年) 11月

第34回全日本大会にて徳田忠邦が4位、住谷統が5位に入賞する。関西圏からの同大会入賞は実に5年振りとなり、両選手は第8回世界大会日本代表に選抜される。

2003年(平成15年)  6月

第20回ウェイト制大会中量級にて金森俊宏が見事優勝する。高尾正紀が重量級4位入賞を果たす。 世界戦士ベテラン同士の対戦となった3回戦、対高久昌義戦では全盛期を上回るラッシュ戦法で勝利。完全復活を印象付ける。金森、高尾両選手共に日本代表に選抜される。

2003年(平成15年)  6月

中村道場出身の関西近隣支部長の呼びかけにより中村師範生誕50周年パーティーが盛大に開催される。

2003年(平成15年) 11月

第8回世界大会が開催される。中村師範が満を持して日本選手団総監督に就任する。稀に見るレベルの高い大会となり日本選手が最終日を待たずに次々と敗退。金森俊宏、高尾正紀、徳田忠邦も海外の波に飲まれ2日目で敗退。住谷統、田ヶ原正文が最終日に駒を進めるもののベスト8目前で惜しくも敗退する。

2004年(平成16年)  6月

第21回ウェイト制大会軽量級において松岡朋彦が準優勝を果たす。更に内弟子である池本理も準優勝し全国大会初入賞を勝ち取る。

2004年(平成16年)  8月  

極真祭・全日本型競技選手権大会にて高橋将太(宝塚道場所属)が昨年に引き続き見事優勝を飾る。また全日本女子選手権軽量級において村上志津香 (神戸総本部所属)が3位入賞を果たす。

2004年(平成16年)  9月

宝塚市に中山台道場が開設される。筆頭指導員に真一(分支部長)が任命される。同分支部長は2006年2月に開設した神戸北道場の指導運営 を兼任する。
南アフリカ大会において松岡朋彦(東灘・元町道場所属)が無差別級優勝を果たす。

2004年(平成16年) 11月

第36回全日本大会にて徳田忠邦が準優勝を果たす。池本理も7位入賞しその実力を証明する。

2005年(平成17年)  1月

師範代である渡邊章雄(分支部長)が運営する放出鶴見道場が移転し常設道場として再スタートを切る。

2005年(平成17年)  4月

青少年国際空手道大会が初開催される。型、組手の部において中村道場より多数の入賞者を出す。

2005年(平成17年)  5月

第3回世界ウェイト制大会が開催される。徳田忠邦が重量級、田ヶ原正文(この時既に独立し大阪なみはや支部長に就任)が軽量級にそれぞれ選抜され出場。両選手ともに準決勝を前に敗退する。この大会、4階級中3階級が海外勢に王座を奪われる。前回世界大会に引き続き海外勢の躍進が目立つ大会となる。

2005年(平成17年)  6月

第22回ウェイト制大会中量級において圧倒的なスタミナと打たれ強さを武器に松岡朋彦が遂に優勝を果たす。また軽重量級では金森俊宏が3年振りに出場し4位入賞を飾る。

2005年(平成17年)  8月

京都で極真祭が開催される。その中で開かれた全日本女子選手権大会において村上志津香 が軽量級で見事優勝を成し遂げる。

2005年(平成17年)  9月  

羽曳野道場が開設される。筆頭指導員に徳田忠邦が任命される。

2005年(平成17年) 11月

第37回全日本大会にて徳田忠邦が3位に入り同大会3回連続ベスト4入りを果たす。また田ヶ原正文が6位に食い込み同大会初入賞を成し遂げる。40歳 しかも軽量級選手としての無差別大会入賞は驚異的と言える。

2005年(平成17年) 11月

都島道場が常設道場として新規開設。筆頭指導員・師範代として比嘉幸治(分支部長)が稽古指導運営にあたる。

2006年(平成18年)  4月

第2回青少年国際空手道大会が開催される。前回に引き続き中村道場より多数の入賞者を出す。また池本理が世界中量級王者のアンドリュース・ナカハラ(ブラジル)選手とワンマッチ方式で対戦するものの敗北。世界の壁を痛感する。

2006年(平成18年)  6月  

第23回ウェイト制大会において軽重量級に出場した住谷統が決勝での金森俊宏との同門対決を制し優勝を遂げる。この大会での住谷の爆発力はすさまじくまさに完全復活を周囲に印象付けた。中量級では松岡朋彦が昨年決勝と同じ顔合わせとなった森善十郎選手に破れ惜しくも準優勝に留まる。

2006年(平成18年)  8月

 

所属道場が50箇所を超える。2006年8月現在、大阪南支部に19、兵庫支部に36の道場数を擁する。また中村道場から巣立った関西近隣支部長も梶原隆広(三重)、橋爪秀彦(大阪北)、西山芳隆(大阪西)、柴田英樹(高知)、保田敏夫(大阪中央)、田ヶ原正文(大阪なみはや)、高尾正紀(大阪東)、田中隆昌(大阪東南)ら8名を数える。

2006年(平成18年)9−10月

神戸朝霧道場が新規開設され筆頭指導員に宮田徳治(分支部長)が任命される。また三田道場が神戸本部直轄常設道場となり職員の中村修志が責任者となる。 同指導員は2007年9月に分支部長の許可を受け、西宮南道場を新規開設する。

2006年(平成18年) 11月

第37回全日本大会が開催される。翌年の世界大会日本代表選抜戦を兼ねた本大会。代表入りが懸かった4回戦において、徳田選手は鹿児島支部の別府選手に体重判定で惜しくも敗退。住谷選手はポーランドのハブラシカ選手に対し試合を有利に進めながら、延長戦で足首に重症を負い試合続行不可能となる。しかし内弟子出身の池本選手がベスト8に入賞し見事代表権を手中にする。

2006年(平成18年) 12月  

川阪真一(中山台・神戸北道場所属)と中川克洋(泉佐野道場所属)がカナダで開催されたバンクーバー国際大会に参戦。中量級・重量級においてそれぞれ準優勝を収める。

2007年(平成19年)  2月

播州カップが姫路にて初開催される。500人以上の選手がエントリーし熱戦が繰り広げられた。この成功を受け、同大会の年一回の定時開催が決定される。

2007年(平成19年)  6月

日本代表最終選抜戦と銘打たれた第24回ウェイト制が開催される。中村道場から24名の精鋭が参戦。徳田選手が戦前の予想通りベスト4に食い込み代表権を獲得。期待された松岡選手は準決勝において鈴木選手(城北支部)に試し割り判定で惜敗。中量級は上位2名までが世界大会出場を許されるため、松岡選手は入賞を果たすも代表入りは見送られる格好となった。

2007年(平成19年) 11月

第9回世界大会が開催される。日本勢は海外勢の勢いを止めることができず、ベスト8に一人の入賞者を出すに留まり惨敗を喫する。池本選手は3回戦でロシアのアンドレイ・ステピン選手、徳田選手は4回戦でチェコのヤン・ソウクップ選手にそれぞれ敗戦を喫する。空手母国として多くの課題を残す大会となった。

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