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Year 2008
Special Report
Interview with Sensei Kazunori Koike

 

■2008年度新春特別企画 

小池一紀師範代インタビュー

冬季セミナーも終了し(レポートや写真はHP係りに到着次第掲載予定)いよいよ新しい年の出発です。今回、2008年度の冒頭を飾る企画として小池師範代にインタビューをさせていただきました。大阪住之江道場の分支部長を務める小池師範代は中村道場の中でも最古参の黒帯で、兵庫・大阪南支部の創成期から中村師範の手足となり道場発展に尽力されてきた方です。その存在は支部の屋台骨を支える大黒柱と言えます。色帯上級者や黒帯の間では同師範代の人柄や略歴をご存じの方も多いと思われますが、少年部や初心者、ご父兄には大会やセミナーでのみしか同師範代のお顔を拝見する機会に恵まれません。このインタビューを通じ、そういった方たちにも師範代の素顔を知ってもらえれば幸いです。またこの企画では単に師範代のプロフィールを紹介するだけでなく、その歩んでこられた歴史を知ることにより極真空手の未来はどうあるべきか、ということまでその趣旨を発展させました。2時間に渡ったロングインタビュー 、3部に分けて公開予定です。2008年の出発 点を飾るに相応しい内容となりました。 (2007年12月30日住之江道場にて収録)

注)インタビューは思いっきり関西弁でおこなわれましたが、そのまま活字にすると関西圏以外のビジターには読みづらいため標準語に変換させていただきました。

 

PART1: 生い立ちから本部での稽古

師範代、時間を割いて下さり本当にありがとうございます。

いやいや、道場も正月休みですから時間は大丈夫です。なんでも訊いてください。

 

ありがとうございます。では早速始めさせていただきたいと思います。中村道場の道場生はセミナーや大会を通じて師範代のお顔を一度は拝見していると思うのですが、実際どういった経歴の持ち主なのか知らない人たちが大半だとおもいます。そのあたりから訊いていきたいと思うのですが。まず生い立ちはどういったものだったのでしょう。

出身は兵庫県の西宮なんです。そこで普通に中学、高校を卒業しました。これは余談ですが、私の両親は宮崎の日向というところの出身で、ひいじいさんは日之影出身なんです。日之影は中村師範の出身地なんです。そういうところでも私は師範に縁を感じます。それで高校を卒業した後に自衛隊に入隊し北海道に勤務となりました。北海道では2年で任期が満了したので、その後に東京に出てきたんです。

 

なぜまた東京に出て来ようと思われたのですか?

それは一言、極真空手を習うためです。学生時代に読んだ空手バカ一代に影響を受け、「この空手を習い強くなりたい」という心が芽生えそれが日増しに大きくなったんです。高校生のときには夜行列車で東京まで行き第6回全日本大会も観ましたよ。それほどあこがれましたね。やるなら東京の本部道場しか眼中にありませんでした。ですから最初に空手がありきで仕事や住居は二の次でした。

 

では北海道から東京に移られた直後に入門されたわけですか?

そうですね。ただ引っ越した次の日に入門手続きをするため総本部道場に行ったのですが、いざ建物の前まで来ると足がすくみ、その日は引き返したのを覚えています。内弟子が玄関前で門番をしていました。不動立ちのその姿にビビってしまったんですね(笑)。でも次の日は決心を固め、なんとか玄関を通過し入門することができました。

 

当時(1978年、昭和53年)の総本部の稽古時間はどのように組まれていたのですか?

一日三部制でした。これは現在も変わっていないと思います。一部は午前10時から、二部は午後4時半から開始だったと思います。そして私が主に出席した三部が夜間クラスで7時開始でした。稽古時間はそれぞれ2時間でしたね。でも三部の稽古が時間通り終わることはめったにありませんでした。時間超過は当たり前でしたね。

 

その三部の一般稽古は中村師範が指導を担当されていたんですね。

そうです。私が入門して最初の指導員が師範でした。当時、中村師範は第910回の全日本大会で連続3位入賞を飾り、まさに絶頂期に向かっている真っ只中におられました。

 

大山総裁は一般稽古を教えられなかったのですか?

総裁は帯研(黒帯研究会)を中心に指導されていました。でも一般稽古の終わりには4階にある館長室(当時大山総裁の役職名は館長であった)から降りてこられましたね。筆頭指導員が稽古終了の報告に館長室に行かれるんです。そして総裁が降りて来られ、参加している道場生の前で訓話されました。興味深い話ばかりでしたね。でもたまにお話がすごく長くなることがありました(笑)。その時はつらかったですけど、今から考えれば貴重な経験でした。私が茶帯をいただいて帯研に初めて出たときに総裁の指導を受けることができました。やはり迫力がありました。さっきも言ったように稽古中、総裁の訓話が長くなることがあるんですが、総裁が話されている間、稽古中の形を崩すことができないんです。中段突きやっている時は腕を下ろせない。でも総裁の話は時には10分以上になる。次第に腕がプルプル震えてくる。そこでそっと下ろそうとすると、「君はまだまだ稽古が足らないねえ〜」と即、一喝されました。すると不思議なことにまた腕が上がるんです。

 

大山総裁から稽古を受けたことのない世代にとっては夢のような話ですね。当時の一般稽古の内容はどういったものだったんですか?

とにかく基本でした。全ての基本技を通し、一つの技につき50本はやりましたね。基本だけで1時間は費やしました。初心者はその後、更に基本をやらされるんです。稽古開始時に全員で基本をやりその後、初級者と中・上級者を分けるんです。初級者は2階にあるメイン道場から地下のサブ道場に移り、そこで更に基本を50本ずつやりました。当時、極真はマンガの影響もあって人気も凄かった。毎日5,6人は入門者があって道場生の数も一回の稽古で40人から50人はいました。道場の広さはこの住之江道場の1.5倍ほどしかありません。だから基本終了時には熱気がこもり、床には道場生の汗が溜まっていましたよ。

 

「汗が溜まる」ですか。すごいですね。ということは、入門時は基本だけで稽古が終ってしまうんですね。

基本と補強です。補強は基本技の合間に行われるんです。拳立てとスクワットが主でした。これもきつかったですね。一セットにつき50から100回やりました。それが数セットはいるんです。地下での稽古でも同様です。初心者である2,3か月の間、この稽古が続くんですよ。基本と補強のみ。だから退会者も多かったですね。最初の3か月を乗り切る道場生は少なかったですね。100人のうち黒帯になれる確率は1人くらいだったんじゃないでしょうか。

 

そういった稽古内容では辞める人も多いですね。

辞めていく理由は他にもありましたね。それは指導員からの技の説明が一切ないということです。今の道場稽古では考えられませんが、初心者に対しても立ち方や動作への説明が与えられませんでした。グループ分けした後の地下での稽古も同様です。指導員は号令をかけるだけ。道場生はとにかく見て真似て覚えていくしかないんです。唯一、説明があったのは礼儀作法だけでした。礼の仕方、正座、道場への入り方は教わりました。でも黒帯から教えてもらったのではないですよ。黄色帯くらいの色帯からです。それくらい黒帯の存在は雲の上に置かれてましたね。

 

細かい説明を加えて手取り足取り教える現在の指導法からは対照的ですね。初心者の退会率が高い中、師範代は耐え抜かれましたが、やはり強さへの憧れが人一倍強かったからでしょうか?

それもあったかもしれません。ただ直接の理由は好奇心でした。とにかくメイン道場で何をやっているのかが知りたかった。初心者は地下に降ろされたあと2階の道場で上級者がどういった稽古をやっているかを知る術がなかったんです。もちろんそういった質問を先輩にできるわけがありませんでした。その分、余計に気になりましたね。その好奇心が地下での稽古を耐え抜かしてくれました。まあ、後でわかったことですけど、メイン道場でやっていた稽古は移動稽古だったんですけどね。でもあの時は気になりましたよ。

 

組手稽古はなかったんですか?

もちろんありました。それが極真の命ですから。組手は一般稽古の最後にあるんです。地下道場からメインに呼び戻された後、上級者が組手を始めて白帯は座って見学するんですが、筆頭指導員である中村師範が「白帯の中で参加したい人があったら手を挙げて」と訊かれるんです。初心者の私はもちろん挙げませんでした(笑)。たまに他流派をやっていたような白帯が入門してきて参加するんですが、1セット参加してすぐに後悔してました。とにかく当時の組手稽古は凄かった。防具なし、掴みや引っかけあり。正に「地上最強の空手」だと感じました。私も中級者となったころに組手に参加し始めました。中村師範ともやらせていただきましたよ。でもあれは組手と呼べる代物ではなかったです。なにせ一発技をもらったら壁まで吹っ飛ばされるんですから。当時は「押忍、参りました」とこちらが言わないと、たとえ伸ばされた後でも先輩からの攻撃がやまないんです。私はすぐに言いましたね(笑)。

 

そういった状況を乗り越えて色帯への初の審査を受審されたんですね。

そうですね。審査は年に2回あったと記憶してますが、仕事の関係で一回目は見送ってしまいました。だから丸一年白帯を締めました。その後ようやく受審となりました。

 

審査内容はどういったものだったんですか?

内容的には今とそんなに変わりません。ただ項目の中に拳立てがあるんですが、私はそれを重点的に稽古しましたね。というのも、あの当時大山総裁が「君たちね〜拳立て100回をまず目標にしなさい。そしてその次は指立て100回。それができたら2本指で100回。それができたら2本指で逆立ちができるよ〜。それで人の鼻をつまんだらもげるよ〜。」とよくおっしゃっていたんです。だからそれに感化されて毎日指立てしました。道場ではもちろん、会社の食堂でもしましたよ。会社の同僚によく笑われましたけどね。でもその甲斐あって審査では総裁の目にも留まり飛び級させていただきました。一気に6級(黄色帯)になったんです。これは嬉しかったですね。

 

2本指立て100回ですか。当時の鍛錬の厳しさを物語るエピソードですね。色帯となってからの稽古に変化はでたのでしょうか?

稽古内容自体には変化は表れなかったのですが、組手が様になってきたようです。組手が面白く感じるようになりました。組手が面白くなると空手を習うこと自体が楽しくなりますね。ただ先輩から受ける恐怖感は常にありましたよ。審査終了後、黄色帯を頂戴し最初の稽古に出席したのですが、驚いたことに一緒に受審した同輩はだれも来なかったんです。もう色帯になったことで満足して辞めてしまったんですね。だから組手の際、新しく色帯になった私に先輩からの攻撃が集中しました。大変でした。

 

PART1 生い立ちから本部での稽古
PART2 
中村誠師範との遭遇
PART3 極真の本質とは?

 

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